すぐ分かる!藩公行列とは?会津若松市の大名行列を詳しく解説!

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城下町である会津若松市で9月の下旬に3日間に渡って開催される会津まつり
そのメインイベントとなるのが藩公行列です。
ちょっと聞き慣れない言葉ですよね。

こちらの記事では、会津の藩公行列について詳しく解説します!

藩公行列とは?

藩公行列は、毎年9月下旬に福島県会津若松市で行われる会津まつりの中で行われる武者行列です。

主に幕末の人物に扮した約500名が、当時の衣装を身に着けて会津若松市内(地元で言ういわゆる”旧市内”)を歩く行列です。

正式名称は、会津藩公行列
会津藩公行列を分解してみますと・・・

会津:会津の
藩:藩の
公:藩主や人びとの
行列:行列です

つまり、会津の藩主や人々に扮した行列という意味です。

『藩』とは言っていますが、藩公行列には、領土を『藩』と呼ぶ江戸時代より以前、戦国時代の会津”領主”蒲生氏郷公が登場します。
蒲生氏郷公は会津若松にとって非常に重要な人物であること、そして、毎年蒲生氏郷公ゆかりの三重県松坂市から参加していただいている関係だそうです。

あれ?正式名称って『会津歴代藩公行列』じゃなかった?と思っていたのですが、あれは鶴ヶ城再建50周年にあたる2015年に、鶴ヶ城をテーマに行った時の名称なんだとか。
この時は、あまり知られていない時代の会津の領主がわらわらと登場したので、「え?この人誰?」という困惑の声が沿道から結構聞かれましたね。

藩公行列の時代背景は?どういう構成なの?

前述したように、藩公行列は戦国時代がちょっと、主に幕末、という構成です。
なんで幕末か。

これは会津の人に言わせれば愚問。
会津の歴史と言えば、イコール戊辰戦争だから。
(ほかの時代も、じつはすばらしいのですが)

歴史音痴の私はああ、そう言えばそうだったかな?という程度の認識でしたが、会津の人間にとっては、戊辰戦争の存在は、とてつもなく大きいのですよね。

さて、隊列の構成に話を戻しましょう。
こちらが2017年の配列図です。

見逃しがちな先頭の歴代領主の旗に結構意味があるのですよ!!
(今まで完全にスルーしてましたけど)

会津藩公行列でいちばん大事!会津の歴史がつまった歴代領主旗

戦国時代の会津領主の変遷を表しています。

そして先ほど言ったゆかりの土地松坂市から参加の蒲生氏郷公の隊列に続いて、保科正之公が初めて会津藩主として登場。

会津藩を起こした偉大なる保科正之公は、会津若松市長が務めるのが恒例です。

そして、江戸時代最後の藩主、松平容保公。
続いて白虎隊や新選組をはじめとする、戊辰戦争(会津戦争)で活躍した部隊が行列を盛り上げます。

戊辰戦争に負けた後に会津藩を没収された松平家が青森県で作った斗南藩も含まれます。

と、ここでちょっと待った~!
白虎隊はいいとして、幕府の組織であった新選組が会津藩の大名行列に参加するなんて、どう考えてもおかしいでしょ!と歴史好きのお友達からのツッコミ。

う、言われてみれば、確かに・・・。藩公行列は、どうやらちょっと(?)変わった隊列になっているようです。

藩公行列の隊列は年々拡大傾向にあり、2018年の戊辰戦争150年を前に、2017年には奥羽越列藩同盟(会庄同盟)のゆかりで庄内藩が新たに加わりましたので、会津に関係する人たち大集合の行列!!ってところでしょうか。

因みに実質的に行列の先頭を歩いている赤いお顔の奴隊がまた話をややこしくしているのですが、、、それについて詳しくはこちらをどうぞ。

知れば納得!真っ赤な顔の会津藩奴隊とは??

藩公行列にはどういう意味があるの?

藩公行列は、時代衣装を着た仮装パレードと思われがちですよね。
でも、会津まつりには、会津の先人に感謝するとともに、戊辰戦争で亡くなった会津藩士や戦火に巻き込まれた方々の慰霊(いれい)と鎮魂(ちんこん)の意味合いが込められています。

藩公行列に出発する前には、「先人慰霊祭(せんじんいれいさい)」が厳かに執り行われます。


※画像は会津まつり協会ホームページよりお借りしました。

八重の桜が放映された後の2014年から2017年の4年間は、主演を務めた綾瀬はるかさんが毎年行列に参加してくださり、お祭りパレードの色がやや濃くなってきているのも事実です。
しかし、歴史的な意味に重きを置いている市民も少なくなく、長年変わることなく愛される所以でもあります。

綾瀬はるかさんの前にも、芸能人のゲスト参加は行われてきました。
歴代のゲストについては、こちらにまとめています。

【速報】会津まつり2024年ゲストも綾瀬はるかさん!!|藩公行列歴代ゲスト一覧

藩公行列の日程、2018年は?

近年の会津まつり及び藩公行列の日程がこちら。

会津まつり 藩公行列
2017年 9/22(金)~9/24(日) 9/23(土・祝)
2016年 9/23(金・祝)~9/25(日) 9/25(日)
2015年 9/21(月・祝)~9/23(水・祝) 9/23(水・祝)
2014年 9/21(日)~9/23(火・祝) 9/23(火・祝)
2013年 9/21(土)~9/23(月・祝) 9/23(月・祝)

 

ご覧のように、会津まつりは毎年秋分の日(9月22日又は23日)を含んだ3日間で行われます。
ただし、開催曜日はその年のカレンダーによってまちまち。
これは9月の第3月曜日が敬老の日で、秋分の日との兼ね合いで連休になることがあるからですね。

藩公行列は、会津まつり期間3日目の最終日の9月23日(祝)開催のパターンが多いのです。
ただ、2016年は9月25日、2017年は期間の2日目に行われるなど、最近はイレギュラーな日程が続いていて読みにくくなっています。

会津まつり2022 日程と見どころ!2022年版!会津まつり日程と見どころを紹介♪

ところで秋分の日は秋のお彼岸の中日にあたります。
先祖を敬い、亡くなった人を忍ぶ日。
そして奇しくも旧暦9月22日(今の暦で11月ころ)は、戊辰戦争で会津が新政府軍に降伏した日でもあります。

秋の行楽シーズンでもあるわけですが、先祖に感謝する気持ち、特に、戊辰戦争で戦った藩士や、戦火に巻き込まれて亡くなった方への感謝と慰霊の意味が込められている会津まつりに、まさにピッタリの日程ですね。

藩公行列のルート

藩公行列は、鶴ヶ城(つるがじょう=(会津)若松城)本丸(ほんまる)をスタートし、会津若松市のまちなかをぐるっと一周して、また鶴ヶ城本丸に戻ってきます。

途中、会津若松駅近くの中学校で1時間ほどのお昼休憩を挟みながら、約9kmの道のりを、4時間近くかけて練り歩きます。
出発前には出陣式、行列が戻ってからは帰陣式が鶴ヶ城本丸で行われます。

写真は帰陣式での勝鬨(かちどき)、「えい、えい、おー!」の様子。

藩公行列の歴史

会津若松市ホームページの2017年会津まつり案内によると

 
会津まつりは第二次世界大戦以前から市の一大行事として催されており、昭和3年(1928年)に若松市青年団主催・若松市役所後援の「若松市祭」として大名行列が催されたことが当時の記録に残っています。
 戦後になると、全市あげての祭りを盛大に行って観光会津を宣伝しようという声が高まり、市観光協会が主催となって昭和28年10月に第一回会津まつりが実施されました。内容は「御神火リレー」「感謝祭」「盆踊り」「演芸大会」「展示会」「大名行列」「花火大会」「山車まつり」でした。「大名行列」は第四回より「白虎行列」と名前を変えて行われました。
 こうして、会津まつりは先祖に感謝する市全体の統一祭という意味合いから出発し、やがて昭和32年の戊辰90年祭を契機にその性格を観光祭に改め、「白虎行列」を中心に鶴ヶ城と白虎隊の歴史を打ち出すようになりました。
 「白虎行列」は昭和59年の「鶴ヶ城築城600年まつり」からは「歴代藩公行列」と名前を変えて行われるようになりました。
 「会津白虎まつり」と改称されていたまつりの名称は現在の「会津まつり」と改められ、現在では、旧藩主の松平家子孫をはじめ、多くの市民の皆様、県外からゆかりの方々も参加する全市あげての祭りとなっています。

 

とあります。
市民主導のお祭りが、全国から沢山の方が詰めかける大きなお祭りへ発展して行ったのですね。

会津まつりの起源については、こちらの記事をどうぞ。

会津まつりを作ったのはあの偉人だった?!藩公行列の由来に迫る!

藩公行列は中止にならない?

実は、過去約60年の歴史の中で唯一藩公行列が中止となった年があります。
それが、2010年。
大雨・雷・洪水などの警報発報により中止となりました。(正確には、鶴ヶ城体育館の中で簡略版として行われた)
この年、会津若松市のシンボルである鶴ヶ城の屋根瓦吹き替え(黒→赤瓦へ変更)のため、2体の鯱(しゃちほこ)が下されていました。
目にはダイヤモンド・歯には純金・うろこに銀箔があしらわれた銀の鯱(しゃちほこ)が下されていたこの年だけ、雨天中止となったのは、単なる偶然ではない・・・と市民の間でまことしやかに語られているとかいないとか。。。

この不運がもたらした特別ゲストからのサプライズ(神対応)については、こちらの記事をどうぞ。

【速報】会津まつり2024年ゲストも綾瀬はるかさん!!|藩公行列歴代ゲスト一覧

まとめ

会津まつり藩公行列についてまとめてみました。

藩公行列は、

●会津若松市で行われる戦国時代~江戸時代の武者行列であること
●会津にとって重要な意味を持つ幕末(戊辰戦争)の時代をメインにしていること
●会津ゆかりの土地からの参加があること
●先人への感謝と慰霊、鎮魂の意味合いがあること

などをお分かりいただけたでしょうか?

先祖を敬い、亡くなった人を忍ぶ秋のお彼岸に、辛い時代を乗り越えて来た会津。
“いま”と“むかし”が交錯する会津藩公行列を、一度見にいらしてみませんか??

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