【会津ゆかりの地シリーズ②】日野町~会津若松のいしずえを作った蒲生氏郷公のルーツ!

会津まつりを100倍楽しむための情報サイト「会津まつりナビ」へようこそ!
会津若松市内に住む主婦が歴史をイチから勉強しながら書いています。
はじめての方はぜひ、はじめての方へをご一読下さい。

はじめての方はこちらをクリック!

毎年9月に会津若松市で三日間に渡って開催される会津まつり。
このメインイベントである会津藩公行列には、ゆかりの地からのゲスト参加がとても多いんです!

会津まつり2022 日程と見どころ!2022年版!会津まつり日程と見どころを紹介♪

それぞれの都市が、
・どこにあるのか?
・会津とどんなゆかりがあるのか?
・一体どんなまちなのか??(名物や、歴史、伝統行事など)
これらが分かれば、会津まつりが数倍楽しくなること間違いなし!!

こちらの記事で紹介するのは、滋賀県日野町(ひのちょう)!

会津藩公行列の先頭で、トラックに乗ってやってくるおはやし隊が、日野町(ひのちょう)の皆さんです!!

因みに、会津まつりには、東京都日野市からもゲスト参加して頂いています。
同じ日野なのでちょっと紛らわしいですね。
東京都日野市は、トントントントン日野の2トン(トラック)でおなじみ、日野自動車の本社があるところ。
日野市についてはこちら⇒新選組のまち日野市

こちらでは、滋賀県日野町について、見ていきましょう!

日野町はどこにあるの?

日野町の場所は、こちら。

日本一大きな湖、琵琶湖、そして伊勢湾の間にある町ですね!

ひこにゃんで有名な彦根とも近いです。


画像引用:ひこにゃん公式サイト

地図上では、三重県の四日市市までも、同じくらい近く見えますね。
でも、日野町と四日市の間には1,000メートル級の山々が連なる鈴鹿(すずか)山脈が。
実際は、彦根方面の1.5倍くらい時間がかかるようです。

では、そんな日野町から会津若松までのアクセスを見てみましょう!

こちらです!

でなんと、7時間半~8時間の距離!!

電車の場合は、日野~(バス・日八線45分)~近江八幡~(東海道・山陽本線40分)~京都~(東海道・山陽新幹線2時間15分)~東京~(東北新幹線1時間40分)~郡山~(磐越西線快速1時間5分)~会津若松と、ざっと7時間半はかかります!!

飛行機の場合はどうでしょう。
福島空港に飛んでいる伊丹空港まで、車で1時間半ほどなので、飛行機の時間が合えば、陸路よりは少し時間が短縮できるかも知れません。
ただ、一旦逆方向に進まなければならないのが、やや難ですね。

日野町の皆さん、毎年遠いところ、会津まつりへお越しくださいまして、ありがとうございます!!

日野町と会津のゆかりは?

会津若松市ゆかりの地ネットワークによると、

 
【ゆかりの人物】蒲生氏郷(生誕地)

 

とあります。

会津若松市と日野町は、三重県松阪市と三都市による蒲生氏郷公ゆかりネットワーク共同宣言でつながっています。

松阪市(まつさかし)についてはこちら。

【会津ゆかりの地シリーズ③】松阪市~蒲生氏郷公の前任地!

会津のゆかりとしては、この蒲生氏郷(がもううじさと)の生誕地!という一言に尽きるでしょう!!

蒲生氏郷公は、日野町にある、日野城(日野中野城)で生まれたと言われています。

こちらが日野城跡。お城は残っていません。


画像引用:日野市観光協会ホームページ

蒲生氏郷(がもううじさと)公と言えば、会津でそれまで「黒川城」と呼ばれていたお城を改築し、蒲生家の家紋にちなんで「鶴ヶ城」と名付けた人物。

蒲生家の家紋:蒲生対い鶴(がもうむかいつる)


画像引用:ウィキペディア

そして、町の名前も「黒川」から「若松」に変更しました。
この若松の名は、日野町の「若松の森」に由来するものなのだとか。

千利休の弟子でもあり、会津に茶道が根付いたのも、蒲生氏郷公あってこそ。
他にも起き上がり小法師を作らせたり、城下町を整備したりもしました。
今の会津若松市の礎(いしずえ)を築いたのが、蒲生氏郷公であったと言っても過言ではありません。

その蒲生氏郷公が生まれた土地が、日野町なんです。
会津若松の名前の由来も、日野町にあり。

これは間違いなく、会津ゆかりの地ですね。

日野町と言えば?

蒲生氏郷が生まれたまち

日野町のホームページのトップ画像には、真ん中に蒲生氏郷公が描かれています。

そして、日野町があるのは、蒲生郡(がもうぐん)。

もう、日野市と言えば、蒲生氏郷!なんですね。

ただ、トップ画像の蒲生氏郷公の姿は、会津の人間からすると、ちょっと見慣れません。
日野町で蒲生氏郷公と言えば、ひばり野公園にあるという、こちらの銅像のイメージなんですね。


画像引用:日野町ホームページ

いずれにしても、日野町にとって、蒲生氏郷公は本当に偉大な人物なのですね~。

日野城で生まれ、安土城、松阪城を築いて、会津に移った時、蒲生氏郷公はまだ30代前半。
さらに驚くべきことに、40歳の若さで亡くなっているんです。

今考えたら、40年の限られた人生の間に、こんなにも多くの歴史を刻んだなんて、、、ちょっと信じられませんよね!!

会津まつりで、日野の皆さんのおはやしが聞こえて来たら、思わず蒲生氏郷公の偉大さに身震いしてしまいそうです。

ちなみに、蒲生氏郷公のお墓は、京都大徳寺にあるのですが、会津若松市興徳寺にも分骨したお墓があり、どなたでも自由に(無料で)参拝出来ますよ。

近江日野商人が生まれたまち

また、日野市は『三方よし』の語源となった近江商人の中でも、特に栄えた近江日野商人発祥のまちとしても有名です。

町内には、近江日野商人について学ぶことが出来る、歴史民俗資料館 近江日野商人館があります。


画像引用:日野市観光協会ホームページ

とてもおもむきのある素敵な建物ですね!!

日野祭の豪華な曳山(ひきやま)

そして何といっても、会津藩公行列でもでかでかと掲げられる「日野曳山祭ばやし」

日野町では、850年も前から、日野祭(ひのまつり)というおまつり、そして祭ばやしが受け継がれています。

曳山(ひきやま)は、いわゆる山車(だし)のことですが、日野祭はこの曳山がものすごいんです!!

それ、動かすものじゃないでしょ~!という大きさと、総うるし塗りや金箔、緻密な彫刻があしらわれた贅沢な代物!
まさに、動くお社(やしろ)です!!

こちらの動画に、いくつか曳山が登場します!

 
祭りで使われる16基の曳山の多くは、なんと200年くらい前に作られたものなのだとか。
近江日野商人は、質素・倹約を美学としていたそうで、稼いだお金を、こういったおまつりのために寄贈されることが多かったんだそうです。
当時に作られた豪華な装飾を施した曳山が、今も引き継がれているんですね~!

日野町に16基ある曳山(ひきやま)の紹介は、こちらのPDFをどうぞ。

日野市ホームページに日野祭のながれのPDFファイルがありました。
あまりの壮大さにびっくり!!

850年の伝統の重さが伝わってきます!

まとめ

会津若松市のゆかりの地、日野町についてまとめました!

会津とのゆかりは、会津若松の礎を作った蒲生氏郷公の生誕地だったと言うこと。

そして、日野町は、何といっても蒲生氏郷公の生誕地!
それから、近江商人の中でも特に栄えた、近江日野商人の町。
その近江日野商人たちが残した豪華な曳山が登場する、850年以上続く日野祭があります。

会津まつりの歴史は、その前身の若松祭から数えてもまだ90年ですから、そこから見たらある意味、天文学的数字です。
会津まつりの始まりについてはこちら⇒会津まつりのルーツ会津藩公行列の始まり

会津まつりのおはやし隊の演奏も、大変な伝統ある音色だったのです!!
何気なく見送ってしまったらモッタイナイ!!
会津と同じく、蒲生氏郷公が作った城下町に暮らす日野町の皆さんのおはやし、要チェックです♪

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。