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会津若松市内に住む主婦が歴史をイチから勉強しながら書いています。
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毎年9月に会津若松市で三日間に渡って開催される会津まつり。
このメインイベントである会津藩公行列には、ゆかりの地からのゲスト参加がとても多いんです!

それぞれの都市が、
・会津とどんなゆかりがあるのか?
・一体どんなまちなのか??
全くわからなかったので、調べてみました!
こちらの記事で紹介するのは、青森県むつ市!
陸奥って漢字が難しいから、ひらがなで書いたんじゃありませんよ!!
むつ市は、ひらがなで書くのが正解なんです^^
って、私は知らなかったのですが(笑)
名前は聞いたことがあるけれど、あんまりよくわからない、青森県むつ市について調べてみました!
もくじ
むつ市はどこにあるの?
ウィキペディアによると
下北半島に位置し、陸奥湾と津軽海峡に面する、本州最北端の市である。
とのこと!
青森県ですから、まあ北にあるとは思っていましたけど、市としては、まさかの最北端でした!!
場所が、こちら!
おっきいですね~!いわき市よりは小さいですが、会津若松市の2倍以上です。
すぐ上が、本当の本州最北端、大間(おおま)のマグロで有名な、大間町です。
では、そんなむつ市から会津若松までのアクセスを見てみましょう!
最北端から南東北までですから、かなり遠そうですが、どうでしょうか?!
こちらです!
ひょえ~!
車でなんと、8時間!!
電車の場合は、下北~(大湊線 58分)~野辺地(青い森鉄道快速46分)~八戸(東北新幹線 1時間40分)~仙台(東北新幹線 35分)~郡山~(磐越西線快速1時間5分)~会津若松と、ざっと6時間半はかかります!!
同じ東北と思っていましたが、めちゃめちゃ遠いところからお越しいただき、ありがとうございます!!
むつ市と会津のゆかりは?
会津若松市ホームページによると、
戊辰の役後、会津藩が斗南藩に移ったことで、血縁関係にも近いつながりから、昭和59年9月23日に姉妹都市の盟約を締結しました。
とあります。
ゆかりの地の中でも、最もつながりの強い姉妹都市となっているのが、むつ市なのですね!!
会津若松市ゆかりの地ネットワークによると、斗南藩(となみはん)については以下のように書かれています。
戊辰戦争後、新政府により藩主松平容保と全家臣が東京や越後高田で謹慎の身となった。
明治2年、版籍奉還が行われる中、会津松平家は再興を許されたが、領地として旧領内の猪苗代湖畔もしくは北奥の旧陸奥南部藩領のいずれか三万石を提示された。その際「農業により領地の財政基盤を築け」との条件があったため、農業に有利である思われる領地の広い北奥への移住が決定した。
新しい藩名は「斗南」と命名され、旧藩士と家族1万7千人余りが移住したが、そこは火山灰土の風雪厳しい不毛の土地であった。斗南藩大参事山川浩、少参事広沢安任・永岡久茂らは農業施策を展開するが、慣れない農業と寒冷な自然の前に生産高はあがらず飢えと寒さで病死者が続出、蒸発するものもあった。しかし山川ら会津人は挫けず、斗南ヶ丘建設に始まる原野の開墾政策、斗南日新館による教育・人材育成に務めた。
会津藩は戊辰戦争で負けた後、すぐ近くの猪苗代湖畔か、下北半島の先端かという選択を迫られました。
わざわざ遠い不毛の地を選んだのは、会津藩士たち自身だったわけです。
その選択には、上にあるように、「農業」を優先した、ということもひとつ。
他に、猪苗代では、会津に未練あると思われ、新政府軍から、とばっちりを受けかねない、という危惧もあったと言われています。
戊辰戦争自体、会津にとっては寝耳に水のような出来事だったでしょうから、そのような考えがあって、より厳しい選択をしたというのも、あり得ることだと思います。
新しくつけた、斗南藩の由来も、「南、すなわち薩長と斗(戦)う」という意味を込めていたそうです。
いずれにしても、その時の会津藩の決断によって、今むつ市と会津若松市は姉妹都市になっていると思うと、感慨深いですね。
むつ市と言えば?
日本で最初のひらがなの市
ウィキペディアによると
1960年に大湊田名部市から現在のむつ市に改め、日本で初めての平仮名の市である。
とのこと。近年、市町村合併で、ひらがなの都市が生まれるケースがありますが、そのさきがけは、むつ市だったのですね!!
むつ市が何故ひらがなになったか。
もともとは、大湊(おおみなと)町と田名部(たなぶ)町が合併し、そのまま二つの地名をあわせて「大湊田名部市」にしたそうです。
ただ、さすがに長いでしょう、ということで、11ヶ月で改名!
陸奥のつく地名は青森県内に沢山あるので、ひらがなになったようです。
因みに、むつ市の次にひらがなの都市になったのが、福島県のいわき市!
なんだか、青森県と福島県にご縁を感じて、余計に親しみがわきました♪
田名部まつり
むつ市は、もともと沢山の地区に分かれており、それぞれの地区で伝統のまつりが行われてきました。
中でも、一番大きなまつりが、田名部神社例大祭(たなぶじんじゃれいたいさい)、通称田名部(たなぶ)まつり。
8月18日~20日の三日間の日程で行われる、壮大なおまつりです。
踊りやおはやしも、山車のひきまわしも、まさに日本の伝統を引き継ぐ素晴らしいおまつりですね。
私は、おまつりのない地域で育った人間なので、脈々と受け継がれてきたこういったおまつりを見ると、圧倒されてしまう反面、めちゃめちゃうらやましい!
こういう地域で育ってみたかったな~!
350年以上の歴史があるとされているので、斗南藩がおこったころには、既に200年以上続くおまつりだったということになります。
斗南藩史跡から、田名部地区まではわずか3km。
斗南藩の人たちも、このおまつりを見ることはあったのでしょうか?
大湊ねぶた(おおみなとねぶた)
青森県は各地のねぶたが有名ですが、むつ市でもねぶたが行われています!
中でも有名なのが、大湊(おおみなと)ねぶた。
有名な青森ねぶたに比べると一回り小さいそうですが、すごい迫力です!
地元各地区からねぶたが出ますが、それに加えて、大湊に地方総監部がある海上自衛隊のねぶたも登場します。
恐山(おそれざん)
日本三大霊場の一つに数えられる恐山(おそれざん)があるのも、むつ市なんです。
画像引用:ウィキペディア
夏に行われる恐山大祭(おそれざんたいさい)と恐山秋詣り(おそれざんあきまいり)では、イタコの口寄せが行われています。
イタコの口寄せ(くちよせ)というのは、イタコに、亡くなった方の霊を憑依(ひょうい=のりうつること)してもらって、亡くなった方から言葉を聞く、というもの。
先立たれた方と一言でも話をしたい、という方が毎年行列を作り、10時間以上待つこともあるのだとか。
釜臥山(かまふせやま)の夜景
伝統的なおまつりが沢山行われているむつ市は、釜臥山(かまふせやま)展望台から見る夜景も目玉のひとつです。
その蝶(ちょう)のように見える形から、光のアゲハチョウとも呼ばれる美しい夜景です。
こちらは釜臥山(かまふせやま)展望台のライブカメラを早送りしている、『むつ市の1日』という動画です。
夜景のみならず、稜線と海のコントラストが、とても美しいですね!
まとめ
会津若松市のゆかりの地、むつ市について調べてみました!
会津とのゆかりは、戊辰戦争後に、会津藩士たちが、斗南藩として移り住んだまちだということ。
会津若松市とは、ゆかりの地の中でも最もつながりの深い、「姉妹都市」になっています。
むつ市は、下北半島の最北端の市。
田名部まつりをはじめとする、沢山の伝統あるおまつりが開催されています。
光のアゲハチョウと呼ばれる夜景も名物です!
おまつりの時期にあわせて、斗南藩の足跡をたどりに行ってみたくなりました^^
会津にとっては、ほぼ親類と言っても良いむつ市の皆さん。
会津藩公行列で見かけたら、ぜひ親しみを込めて、あたたかい声援を送りたいですね♪