【2017隊列詳細⑩】松平時代・白河口隊(白河歴史文化協会)

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毎年9月に、会津若松市で会津まつりのなかで開催される会津藩公行列

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会津藩公行列を構成する一つ一つの隊には、どんな意味があるのでしょうか??
また、どんな団体が、その役を演じているのでしょうか??

その背景を知ってから行列を見てみると、あら不思議!
長~い藩公行列の、はじめから、おわりまで、目が離せなくなっちゃうんです♪

藩公行列を楽しむために^^各隊の構成をくわしく見ていきましょう!

こちらの記事では、松平公時代(白河口隊)を紹介します!

隊列全体の紹介はこちらの記事をどうぞ。

【2017年完全版】会津まつりを見るならこれだけは押さえたい!会津藩公行列の隊列を解説します

白河口隊の隊構成

福島県白河市のみなさんが扮する、白河口隊(しらかわぐちたい)!

戊辰戦争において、もっとも重要な局面であったといわれる白河口の戦い。
この舞台となった、会津ゆかりの地の福島県白河市から、白河歴史文化協会のみなさんが登場です。

扮するのは、白河口の戦いの舞台・会津ゆかりの地の福島県白河市から、白河歴史文化協会のみなさん。
会津藩軍事奉行・海老名衛門(えびなえもん)役は、白河歴史文化協会顧問の菅原修一さんです。

白河口隊紹介

白河市には、もともと白河藩がありました。
しかし、戊辰戦争当時は、白河藩は消滅し、幕府直轄地になっていました。

というのも、幕末の白河藩主・阿部正外(あべ まさとう)が、戊辰戦争が起こる2年前に、兵庫開港要求事件で強制的に隠居させられてしまったから。

阿部 正静(あべ まさきよ)が家督をつぎましたが、棚倉藩(たなぐらはん)に国替えされていました。
棚倉藩についてはこちら⇒ゆかりの地棚倉町


▲阿部正外 画像引用:ウィキペディア

幕府の直轄であった小峰城(こみねじょう・白河城)をめぐって、壮絶なうばいあいが始まりました。
斎藤一(さいとう はじめ)率いる新選組をはじめとする、旧幕府軍と、新政府軍による衝突は、じつに3ヶ月も続きました。

 
仙台藩・米沢藩などを主力とした列藩同盟軍は、会津藩・庄内藩と提携し新政府と敵対する軍事同盟成立に際し白河城を攻撃し、新政府軍から白河城を奪い取った。ここに戊辰戦争の東北地域での戦闘・東北戦争が勃発した。しかし新政府軍は約700名程度で列藩同盟側約2500名の駐屯していた白河城を奪還した。同盟軍は白河を経由した関東への進軍を意図し約4500名まで増援を行い7回にわたって攻撃したが、新政府軍は劣勢な兵数で白河城を守りきった。

 


▲戊辰戦争で焼失し、その後復元された小峰城 画像引用:ウィキペディア

この一連の戦いが、白河口の戦い(又は白河戦争)と呼ばれています。

白河口隊は、この戦いで活躍した部隊です。

会津藩軍事奉行・海老名衛門は、この戦いで奮闘し、いのちを落としました。
白河市内に、慰霊碑がたてられています。(地図の13番)


画像引用:白河市観光物産協会ホームページ

参加団体紹介

参加団体は、福島県白河市白河歴史文化協会のみなさん。

白河市は、戊辰戦争の勝敗が決したと言われる白河口の戦いの舞台となりました。

西軍(新政府軍)・東軍(旧幕府軍)問わず、市内のあちこちに、慰霊碑が建てられいる、歴史的にも非常に重要な意味を持つ土地。

この地で没した会津藩軍事奉行・海老名衛門役は、白河歴史文化協会顧問の菅原修一さんです。

白河市についてはこちら⇒【会津ゆかりの地シリーズ】福島県白河市

まとめ

2017年の会津藩公行列、白河口隊と参加団体を紹介しました。

白河口の戦いの舞台となった、福島県白河市の白河歴史文化協会さんが、白河口隊で参加します。
会津藩軍事奉行・海老名衛門役は、白河歴史文化協会顧問の菅原修一さんがつとめます!

ご注目下さい!

隊列全体の紹介はこちらの記事をどうぞ。

【2017年完全版】会津まつりを見るならこれだけは押さえたい!会津藩公行列の隊列を解説します
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