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会津まつりを100倍楽しむための情報サイト「会津まつりナビ」をご覧いただきありがとうございます。
管理人のたみこです!

既に記事をいくつかお読みいただいている皆さんの中には、やたら長く暑苦しい文章だな~と感じた方もいらっしゃるかも知れませんね。

私がこの「会津まつりナビ」を運営することになった経緯や、どういう想いを込めて書いているのか、自己紹介も含めてこちらに書いていますので、ご一読頂ければと思います。

自己紹介

私は会津若松市内5歳と2歳の男の子を子育て中の会社員 兼 主婦です。

県外出身で、就職のために22歳で会津若松市に来ました。
会津若松に住んで、もうすぐ丸17年になります。
生まれ育った町に住んでいたのは18歳までです。
なので、それとほぼ同じ年数、物心ついてからで言えば、圧倒的に長い月日を、会津で過ごしています。

夏暑く、冬寒い、このメリハリのある気候と、スーパーへ買い物に行けば、全く知らないおばちゃんが普通に話しかけてくれる、人情味あふれる会津が大好きです。

会津まつりとの出会い

私が初めて会津まつりに参加したのは、2011年のこと。

会津若松に移り住んで10年間、全く興味がなかった会津まつりですが、職場のメンバーと団体で藩公行列(はんこうぎょうれつ)に参加することになったのがきっかけでした。

それまで見学したことすらなかった藩公行列に、いきなり青龍隊(せいりゅうたい)に扮して参加したのですから、今から思えば、ずいぶんずうずうしいことをしたものだと思いますが…

私がその時感じたのは、会津の歴史を重んじる厳格さでした。

  • 行列に参加中は、私語はつつしむこと。
  • 銃口や刀を、絶対に、人に向けてはいけないこと。
  • ほこり高き会津の武士として、恥ずかしくない行動をすること。

事前に行われた説明会では、これらの約束事や、隊列図などの資料が配布され、長時間に渡り綿密な打ち合わせが行われました。
団体代表として参加した私は、そこで初めて「どうやら大変な行事に参加することになったぞ」と認識し、自分の団体メンバーに、説明会で言われた重要事項を、こまかく記してメールしたことを思い出します。

藩公行列当日は、早朝から着付けが行われました。
時代衣装に身を包み、ずっしりと重たい銃を肩に掛けた時の、ピリっとした緊張感は忘れられません。

武士の役を女の私が演じて良いのだろうか、と急に心配になり、”武士に見えるように”とわざとガニ股で歩きました。
知り合いに沿道から声援を送られると、心の中ではブンブンと手を振りながら、表情は変えずに目だけで挨拶をしました。

後日
”なんで連絡しねがったの~!親戚一同で見に行ぐんなんねんだぞ~!
(どうして連絡しなかったの~!親戚一同で見に行くものなんだからね~!)”
と知人の一人から言われたこと。
そして9キロの道のりのすべてを埋め尽くす沿道に詰めかける人の多さに、会津の人にとって藩公行列がいかに大きな意味を持つものであるかを、初めて理解したのでした。

2011年の会津まつり

2011年と言えば、3月に東日本大震災、そして福島原発事故が起こった年。
会津若松市は、原発から100kmほど離れた場所にあります。

放射能による影響は東京と同じか、東京より低い程度でしたが、原発に近い地域に住んでいた地域からは16万人が避難し、会津若松市もたくさんの避難者を受け入れていました。

観光都市として生きて来た会津若松に、観光客がだーれも居ない。
一方で、増える避難の方たちの対応に追われる日々。
見えない放射線への不安。
なんとも言えない、不穏な空気が町全体を包み込みました。

その震災から半年。
2011年の会津まつりは、会津若松市内に町ごと避難をしていた、大熊町の大熊中学校の生徒が白虎隊として参加したり、翌年の大河ドラマが「八重の桜」に決まり、山本八重と新島襄の役が新たに行列に加わったり、予算の関係か馬の数が減ったりと、例年からの変化が多い年でした。

観光客がぱったりと途絶え、絶望感すら広がっていた会津若松に、かつて戊辰戦争という辛い歴史を乗り越えてきた先人達を、誰もが少なからず重ねていたのかもしれません。
平穏な日常が戻ってきつつある実感と、未来への確かな一つの希望の光を全員が見ているかのような、会津まつり全体を包み込む一体感を感じました。
この年感じたあの空気感は、なんとも言えない特別なものでした。

会津まつりについて思う事

2011年の藩公行列参加をきっかけに、私の中で会津まつり藩公行列が大きな意味を持つものになりました。
この後にも、2014年には横須賀開国甲冑隊に混ざって付き人として、2015年・2017年には団体で参加した夫の応援として、藩公行列の空気感を肌で感じてきました。

2014年からは、4年連続で綾瀬はるかさんが特別ゲストとして行列を盛り上げて下さり、関係者のご尽力もあって、参加出来る団体数や馬の数も年々増えてきています。
そんな中で、ここ数年でわたしが感じるのは、藩公行列が年々チャラくなってきてしまっているということです。

先人に感謝し、戊辰戦争で亡くなった方々への、慰霊と鎮魂を意味を込めた藩公行列が、『パレード』と呼ばれる事への猛烈な違和感。
馬に乗って現れる武将を『あれ誰?』『知らね〜』と受け流す観客たち。

歩きながら私語は当たり前、沿道の観客に向かってパフォーマンスで銃口を向け、刀を抜いて斬りつけるそぶりまで見せる隊列参加者※。
(※もちろん全員ではなく、武士らしいふるまいで参加されている方も、沢山いらっしゃいます。)

戊辰戦争150周年に向けて行列が盛り上がるにつれ、皮肉なことに、その歴史的意義が徐々に薄まり、完全に消え去る日もそう遠くないと感じ始めたのでした。

歴史アレルギーの私

自分のおバカっぷりをわざわざこんなところで披露するのは、まさに恥の上乗りでありますが、このサイトをご理解いただく上で必要かも知れない、、、という事で、私がどの程度歴史に疎いのかご説明させていただこうと思います。

私は幼少時代から歴史(地理も含んだ社会科目全般)が大の苦手でした。
中学校に入る頃には、社会科の授業中は最もゆううつな時間になり、高校時代には、TVの時代劇で「なんちゃら何年、だれだれが。。。」というナレーションを聞くだけで、ぞわぞわと鳥肌が立つ、立派な「歴史アレルギー」になっていました。
歴史の授業にはついていけないし、時代劇を全く見ませんから、一般常識レベルの歴史の知識も、一切”排除”してきたようなものです。

一番分かりやすいのはセンター試験の点数でしょうか。
大学受験の受験科目であった日本史、100点満点中なんと40点。(世界史、地理は受験していません)
基礎的な問題を問われるセンター試験、しかもごていねいに答えが書いてある中から選ぶ、マークシートの4択問題です。
鉛筆転がしても25点は取れる計算なわけですから、一生のうちで一番歴史を勉強した高3センター試験の成績が40点というのは、まさに“どんだけー”です。

当時の私は、「よし!今度こそ歴史を勉強するんだ!!」と心に誓って教科書を読み込むも、試験に出ない卑弥呼の時代で力尽きる。。。の繰り返しでした。

まさかの決断

2017年の会津まつりの後、私と同じように、会津まつりの観光化による歴史的意義の希薄化に危機感を抱く市民の声を耳にします。
「やっぱり気のせいではなかったんだ」と思うと同時に、戊辰戦争150年の2018年の会津まつりで、藩公行列が単なるパレードになり下がるのか、会津の尊厳を守り通す歴史的意義の大きな行事になるのか、今後のあり方が決まってしまうのではないか、そんな焦りを感じるようになりました。

藩公行列に出てくる武将が一体いつ、何をしたのか、全国から参加する都市と会津には、どういったゆかりがあるのか。
それが、会津にとってどのような意味のあるものなのか。
そう言った背景を理解することで初めて、藩公行列を本当の意味で楽しむことが出来る。
それによって自然と、歴史的意義や、先人への感謝の念が引き起こされる。
そう感じた私は、会津まつりを主催する会津まつり協会を訪ねました。

突然の訪問に窓口で対応してくださった担当の方は、
”会津まつりガイドニュース”以外の情報は持っていないということ。そして歴史的背景やゆかりの土地の紹介は、したいけれど誌面が限られていて出来ないということを、半分あきらめた口調で、でも少し悔しそうに説明してくださいました。

その帰りみち、「無いんだったら、私が作ろう!」と、自分でもおどろきの決断をしたのです。
会津の歴史を知らないどころか、日本史センター試験40点、歴史アレルギーの私に出来るんだろうか、という不安も、もちろんありました。
しかし、人生の大半お世話になっている会津の歴史に、かつて一度も目を向けて来なかったことへの後ろめたさを払拭したい、という自戒にも似た気持ちが上回ったのかな、と思います。

会津まつりの翌月、2017年10月のことでした。

さいごに

こちらは歴史音痴の私が、まさに手探りで作成・運営しているサイトです。

記事の中には、歴史的に理解が不十分なところ、認識が間違っているところ、会津にかたよった解釈をしているところ、など多々あることと思います。

また、もともと文章を端的にまとめるのが苦手な上に、情熱だけで書き連ねているサイトです。
随所に長ったらしく、暑苦しい文章が含まれているかも知れません。

多少の誤記は笑って許して、見過ごせないあやまちはぜひ“お問合わせ”からご連絡頂ければ幸いです。

戊辰150年周年を迎える2018年の会津まつりを、辛い歴史を乗り越えて、今の会津のいしずえを作ってくださった先人達に思いをはせる、市民一体となったおまつりにしたい!
沿道のみなさんに、この「会津まつりナビ」を、スマホで流し読みながら、歴史的理解を深め、会津まつりを100倍楽しんでもらいたい!

それが私の目下の夢です!

もしも共感して下さいましたら、ぜひ、会津まつりを一緒に楽しみたいお友達に、このサイトをシェアしていただけたらと思います。

皆さんの応援があってこそですが、何も持たない一主婦が、こうやって自由に発信できるインターネットと言うツールが150年前にあったなら、会津が逆賊などという汚名を着せられて辛い思いをさせられることはなかったのかなあなんて妄想をふくらませつつ…。

最後までにお付き合いいただきありがとうございます!引き続き「会津まつりナビ」をお楽しみください❤