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藩公行列を見ていると、ゲストの乗った車に続いて登場する真っ赤な顔をして独特な衣装に身を包んだこちらの集団が観客の目を引きます。
実質的に行列の先頭を歩くこの集団は、「会津藩奴隊」通称「奴隊(やっこたい)」。
赤いお面をつけているのかと思いきや、近くで見るとなんと、実際に赤く塗っているメイク!!
落とすの大変そう~・・・というのは置いといて、やたら目立つこの集団、一体ナニモノなのでしょうか??
調べてみました!
もくじ
藩公行列はちょっと変わった大名行列
まず基礎知識としておさえておきたいのが、会津の藩公行列はちょっと変わった大名行列だということ。
藩公行列には、戦国時代の歴代の会津領主、江戸時代の歴代藩主、戊辰戦争で活躍した白虎隊・青龍隊・朱雀隊・玄武隊、さらには明治に入って戊辰戦争で負けて会津から移った先で起こした斗南藩というように、戦国時代から明治初期までの時代の人物が一同に会しています。
その上、どう間違っても会津藩の大名行列に加わるはずのない、幕府の組織である新選組までもが登場してしまう、歴史をよく知っている人であれば一言も二言もモノ申したくなってしまうちょっと変わった構成になっているんです。
歴史音痴の私は、なーんの違和感も抱きませんが、「ここで●●が出てくるのは本当はおかしいんだよな~」とこぼしている会津の重鎮的なお父さん方を時々見かけます。
藩公行列について、詳しくはこちらの記事をどうぞ。
すぐ分かる!藩公行列とは?会津若松市の大名行列を詳しく解説!奴隊は実在した!!
そんなちょっと変わった構成の藩公行列ですし、先頭で目立つこの集団は昔の踊りかなんかの継承会あたりが、祭りを盛り上げるためにやってるのかな~なんて思っていたのですが、調べてみると、なんと実在のものだと言うではありませんか!!
奴隊が実在したのは、江戸時代、参勤交代の大名行列でのこと。
参勤交代は、江戸へ行って1年間住み、次の年は自分の領土に帰って、また翌年は江戸へと大名行列を作って領土と江戸とを往復した、ということなので、旅行というか、ある意味引っ越しですか?
とにかく、会津と江戸を数日かけて(ふつうは5泊6日で)歩く時に、荷物を運んだのが、武士の雑務に当たった奴隊=奴衆(やっこしゅう)なんだとか。
ちなみに奴衆は、農民や町民が行列の時だけ雇われていたらしいですよ。
大名行列に駆り出されるおとーちゃんとか、子供は嬉しくて仕方がなかったんだろうな~。そうでもなかったのかしら。
しかし、先頭がいきなり江戸時代の大名行列の奴衆が登場し、その後に参勤交代などなかった時代の戦国武将がくるわけですから、歴史を知っている人から見ると、なんとも難解な構成なわけですよね。
(私は気になりませんでしたけどね。)
奴隊を見れば、どこの行列か判別できた!
参勤(江戸に到着すること)は毎年4月と決められていたそうですから、あちこちの藩から次々に行列がやってくるわけで、この行列が一体どの藩の行列なのか、判別する必要があったんだそうで。
そこで活躍したのが、奴隊です。
奴隊が藩ごとに特徴ある身なりをして、行列の先頭で旗や将軍の家紋が入った道具などを持ちながら歩くことで、あ、どこどこ藩が来た!と識別していたらしいですよ。
特に長い~棒の先にふさふさの毛がついた『毛槍(けやり)』と呼ばれる道具は、藩ごとに幕府から許可された形があったらしく(!)、遠くから見ただけでどこの行列が来るのか分かったんだとか!!
へ~!ですよね。
奴隊は参勤交代のパフォーマーだった!
会津藩の参勤交代時の大名行列は、今行われている藩公行列と大体同じ500人程度だったらしいので、行列が通過するのにかかったのは今と同じように1時間前後でしょうか。
大名行列が通過する間、行列を横切ってはいけなかったらしいですし、お殿様のお通りとあれば、その時間民衆は沿道で行列を眺めていたに違いありません。
その民衆や将軍の目を楽しませるべく、独特の歩き方をしながら掛け声をかけたり、毛槍を投げ合ったり、と言ったパフォーマンスをしていたのが、奴隊だったんです!!
ウィキペディアによれば
時代劇等では、大名行列が往来を通り過ぎるときには必ず先導の旗持ちの「下にー、下にー」との声にあわせ百姓・町人などは脇に寄り平伏しているシーンが登場するが、実際にはこの掛け声を使えるのは徳川御三家の尾張・紀州藩(水戸藩は例外で江戸常勤であるため参勤交代はなかった)だけで、ほかの大名家は「片寄れー、片寄れー」又は「よけろー、よけろー」という掛け声を用い、一般民衆は脇に避けて道を譲るだけでよかった。土下座をする者も行列の中の本陣(大名が乗った籠)が通る際のみであった。
ということらしいです。
先日車で移動中にNHK大河ドラマ『西郷どん』で島津なりあきらが新しい藩主としてお城に向かう大名行列のシーンをたまたま見たのですが、確かになりあきらさん通過するシーンでは皆土下座していたかな?
ところで余談ですが、会津愛の強い会津のお友達は、『西郷どん』は絶っっ対見ない、と言っています。
大河好きで会津出身の夫は、“どうせ戊辰戦争のことなんかやんないと思うよ”と気にせず見るつもりのようですし、ほどほどに地元愛のある会津の友達は、西郷どんだから見ない、とは言っていません。
実際会津の視聴率が平均とどれくらいの差が出るものか、理系の人間としてはその辺の数字が気になるところです。
奴隊はみんな赤い顔なの?
藩公行列で見る奴隊は、真っ赤などうらんに黒いひげが最大の特徴です。
まあこれもウケがいいようにやってるんじゃない?なんて思っていましたが、当時の会津藩の大名行列の様子を描いた資料に、赤い顔の奴衆が描かれているのだとか!!
きちんと当時の姿を再現していたのですね~。
じゃ、奴隊はどの藩も皆赤い顔をしていたのかな?なんて疑問に思ったのですが、それは違うみたいです。
例えばこちらは箱根大名行列
そしてこちらは山形県村山市湯野沢地区の奴振り
滋賀県油日神社の油日祭 奴振り
油日祭は、5年に1度しか行われないのだとか!継承が大変そう。
奴隊が行った一連のパフォーマンスのことを「奴振り」と言うようで、Youtubeでいろんな地域の奴さんが見られます。
そしてなんと、山形県河北町(かほくちょう)では全国の奴行列を招いて全国奴まつりというお祭りを開催しているのだとか!!!楽しそうですね~!
会津藩奴隊はまだ出ていないみたいです。割と近くなのに、ちょっと不思議ですね。
会津藩奴隊のパフォーマンスを見てみよう!
さあ、奴隊について色々分かったところで、藩公行列の奴隊登場シーンを見てみましょう!
「あ~ よいとこさ~のさっ えいこらい さ~のさっ」
これ、しばらく耳について離れないんですよね~。
よいとこさの意味が
①力を入れたりするときに,はずみをつける掛け声。
②民謡などの囃子詞(はやしことば)。
なので、きっと「よっこらしょ、よーいしょ」というニュアンスの掛け声なんでしょうね。
会津まつり奴隊の人気が意外なところまで?!
奴隊の人気ぶりは、会津の伝統工芸品にまで波及しています!
2018年にはなんと、奴隊をモチーフにした起き上がり小法師まで誕生しました。
起き上がり小法師で「会津藩奴隊」再現 会津まつり・藩公行列会津若松市のメガネのアイワ(神成達也代表)は26日までに、会津まつりの会津藩公行列に参加する「会津藩奴隊(やっこたい)」を再現した起き上がり小法師(こぼし)を制作した。
数年前から眼鏡を掛けた起き上がり小法師などユニークな商品を販売している。今回は奴隊に参加した友人からのリクエストを受け、来年1月10日に同市の神明通りで開かれる十日市に合わせて制作した。
奴隊の姿を再現するために何重にも赤い色を塗り、奴隊の特徴でもあるひげを描き、胴部分には会津木綿を巻き付けた。神成代表は「十日市と奴隊を一緒に知ってもらいたい。満足な仕上がり」と顔を赤くした。起き上がり小法師は十日市で販売される。価格は1個350円。
引用:2017年12月27日みんゆうネット 起き上がり小法師で「会津藩奴隊」再現 会津まつり・藩公行列
奴隊起き上がり小法師についてはこちらの記事で詳しく書いています。
⇒【ファン必見】会津まつり藩公行列で人気の「奴隊」が起き上がり小法師に!購入するには?!
まとめ
会津まつりファンの間でダントツの人気を誇る「奴隊」についてまとめてみました!
赤い顔やパフォーマンスの意味が分かってスッキリしましたね~!
何とも気になる赤い顔集団の正体がわかったところで、また違った目で奴隊のパフォーマンス、そして藩公行列をお楽しみいただけたら幸いです♪
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