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会津若松市内に住む主婦が、歴史をイチから勉強しながら書いています。
毎年9月に、会津若松市で会津まつりのなかで開催される会津藩公行列。
2022年版!会津まつり日程と見どころを紹介♪会津藩公行列を構成する一つ一つの隊には、どんな意味があるのでしょうか??
また、どんな団体が、その役を演じているのでしょうか??
その背景を知ってから行列を見てみると、あら不思議!
長~い藩公行列の、はじめから、おわりまで、目が離せなくなっちゃうんです♪
藩公行列を楽しむために^^各隊の構成をくわしく見ていきましょう!
こちらの記事では、松平公時代(青龍隊)を紹介します!
隊列全体については、こちらの記事をどうぞ!
【2018年完全版】会津まつりを見るならこれだけは押さえたい!会津藩公行列の隊列を解説します青龍隊の隊構成
戊辰戦争の際に結成された、青龍隊(せいりゅうたい)!
青龍隊は、青龍に対応する色である「青」にちなみ、青い甲冑が特ちょうです。
また、特筆すべきは、この青龍隊と朱雀隊(すざくたい)には、大砲隊がいること!!
出陣式には、舞台前での大砲発砲の演武がある、花形の部隊です^^
扮するのは、一般団体応募の、みずほ銀行会津支店のみなさん。
日光口隊総督・山川大蔵(やまかわ おおくら)役を、支店長の横張秀哉(よこはり ひでや)さんがつとめます。
青龍隊紹介
戊辰戦争において、会津藩は年齢によって隊を編成しました。
50歳以上が「玄武(げんぶ)隊」、36~49歳は「青龍(せいりゅう)隊」、18~35歳が「朱雀(すざく・しゅじゃく)隊」そして16~17歳が「白虎(びゃっこ)隊」です。
隊のなかでも、さらに以下のようにわかれました。
士中一番隊(しちゅういちばんたい)から三番隊 各100名前後
寄合一番隊(よりあいいちばんたい)から二番隊 各100名前後
足軽一番隊(あしがるいちばんたい)から四番隊 各100名前後
青龍隊は、おもに国境付近の警備にあたった部隊であり、総勢900名ほどで構成されていました。
日光口隊総督・山川大蔵は、戊辰戦争で日光口隊総督をつとめた若年寄(わかどしより)です。
明治以降は、山川浩(ひろし)を名乗っています。
▲山川大蔵 画像引用:ウィキペディア
山川大蔵について、戊辰戦争でとてもゆうめいなエピソードがあります。
戊辰戦争の際、日光口(南会津町田島)の守備に当たっていた家老・山川大蔵(後の陸軍少将 山川 浩)は、別の国境が破られ鶴ヶ城での籠城戦が決定されると、帰城の命令を受け会津城下に急ぎ戻ります。
途中、飯寺まで来ると鶴ヶ城がすでに新政府軍に包囲されているとの知らせを受け、そこで山川は一計を案じ、小松村(今の会津若松市北会津町小松)の獅子に協力を要請しました。
小松では、村内から笛・太鼓を集めさせ、隊長の高野茂吉以外は独身の若者だけで獅子団を結成し、その獅子団を先頭に「通り囃子」を演奏しながら山川の隊は堂々と行進しました。
新政府軍は敵味方も分からぬまま呆然として見送るのみでありました。
篭城していた者は聞きなれた音色を聞き、門を開けて泣いて迎えたといわれています。引用:会津若松観光ナビ
山川大蔵が城内に入るために踊らせたという、会津の春の風物詩、彼岸獅子(ひがんじし)の映像はこちら。
緊迫した戦いの場面で、敢えてこんな目立つ格好をして城下に飛び込むなんて、なんとすばらしい発想と勇気の持ち主でしょうか。
小松獅子団は、のちに松平容保公に松平家の別荘であった御薬園に招かれ、おなじ舞をひろうしました。
この時に、数ある獅子団のうち、小松獅子団にかぎって、松平家の葵紋の使用が認められたと言われています。
▲松平家の葵紋(会津葵紋)
また、山川浩は、白虎隊出身で会津の偉人のひとり、山川健次郎のお兄さんです。
山川健次郎について、くわしくはこちら⇒保科時代(山川健次郎顕彰会)
参加団体紹介
参加団体は、みずほ銀行会津支店のみなさん。
説明するまでもない気がしますが、みずほ銀行会津支店は、会津若松市内にあるみずほ銀行の支店。
日光口隊総督・山川大蔵役(やまかわ おおくら)役を、支店長の横張秀哉さんがつとめます。
まとめ
2018年の会津藩公行列、青龍隊と参加団体を紹介しました。
青龍隊は、戊辰戦争の際に36~49歳の会津藩士によって編成された部隊。
会津藩公行列では、大砲発砲の演舞がある、花形部隊です。
みずほ銀行会津支店のみなさんがつとめます。
日光口隊総督・山川大蔵役は、支店長の横張秀哉さんです。
ご注目下さい!
隊列全体の紹介はこちらの記事をどうぞ。
【2018年完全版】会津まつりを見るならこれだけは押さえたい!会津藩公行列の隊列を解説します