【会津ゆかりの地シリーズ⑬】棚倉町~東北でいちばんのパワースポット?!

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毎年9月に会津若松市で三日間に渡って開催される会津まつり。
このメインイベントである会津藩公行列には、ゆかりの地からのゲスト参加がとても多いんです!

2018年決定!会津まつり日程をどこより早くお知らせ!

それぞれの都市が、
・どこにあるのか?
・会津とどんなゆかりがあるのか?
・一体どんなまちなのか??(名物や、歴史、伝統行事など)
これらが分かれば、会津まつりが数倍楽しくなること間違いなし!!

というわけで、調べてみましたよ~♪

こちらの記事で紹介するのは、福島県棚倉町(たなぐらまち)!

会津まつりには、戊辰(ぼしん)戦争後150周年を迎える節目の年、2018年に初めて参加いただける見込みです。

人口1万5千人くらいのこじんまりとしたまちです。

そんな棚倉町について、くわしく見ていきましょう!

棚倉町はどこにあるの?

棚倉町の場所は、こちら。

福島県の、栃木県との県境。
白河市のお隣です。

では、棚倉町から会津若松までのアクセスを見てみましょう。

こちらです!

で、約2時間の距離。

棚倉町~会津若松市の移動は、主に3ルート。

・高速道:~矢吹中央IC~福島空港・あぶくま南道路~矢吹IC~東北道~郡山JCT~磐越道
・一般道①:国道294号線(勢至堂=せいしどう)
・一般道②:国道284号線~国道118号線~甲子(かし)道路

江戸時代に使われた会津五街道と照らしてみると、おもしろいかも^^


画像引用:会津若松観光ナビ 

③二本松(にほんまつ)街道
④白河(しらかわ)街道
⑤下野(しもつけ)街道
が、ほぼ対応している感じですね。

電車の場合は、磐城棚倉(いわきたなぐら)駅~(水郡線(すいぐんせん)1時間10分)~郡山~(磐越西線1時間15分)~会津若松と、ざっと2時間半

県内ですが、こうしてみると、けっこう遠いですね。

棚倉町と会津のゆかりは?

会津ゆかりの地ネットワークに、県内の都市についての記載はありません。

棚倉町には、かつて『棚倉藩(たなぐらはん)』がありました。

藩庁がおかれたのは、棚倉城(たなぐらじょう・亀ケ城(かめがしょう))です。

え?亀ケ城?

会津の鶴ヶ城(つるがじょう)を、かなり連想させられます。

そしてたぶん、会津人が亀ケ城ときいて、思いうかべるのは、猪苗代。
猪苗代城の愛称が亀ヶ城で、そのなごりで、城址そばにある猪苗代町の総合体育館は、カメリーナという名前がつけられているほどです。

棚倉が亀ケ城と呼ばれたのは、
『お堀に大亀が棲んでいて、その大亀が姿をあらわすと、藩主が移封される』
という伝説があったからだとか。

伝説の大亀はわかりませんが、ふつうに亀はいたのかも知れませんね。

そして、藩主のうつりかわりを見ると、こんな伝説ができるのも納得なんです。


画像引用:棚倉町タウンガイド

歴代藩主(1603年〜1871年)
立花家(外様 1万石→2万5500石→3万5000石)
1.立花宗茂
丹羽家(外様 5万石)
1.丹羽長重
内藤家(譜代 5万石)
1.内藤信照
2.内藤信良
3.内藤弌信
太田家(譜代 5万石)
1.太田資晴
松平(越智)家(親藩 6万5000石)
1.松平武元
小笠原家(譜代 6万5000石)
1.小笠原長恭
2.小笠原長堯
3.小笠原長昌
井上家(譜代 6万石)
1.井上正甫
2.井上正春
松平(松井)家(譜代 6万石)
1.松平康爵
2.松平康圭
3.松平康泰
4.松平康英
阿部家(譜代 10万石)
1.阿部正静
2.阿部正功

268年間に、9回も家が変わっています(◎_◎;)
平均すると、30年弱。

 
棚倉藩はしばしば、中級、下級の譜代大名の懲罰的な目的での転封の対象地になり、また藩主家の長期の定着がなく、藩の支配体制は不完全なまま経てきた。

 
引用:ウィキペディア

と言うのが、藩主がコロコロと入れ替わっていた理由なのですね。
ちょっと失礼なはなしですが、当時は左遷地あつかいだったのかもしれません。

奥羽越列藩同盟に加盟

さて、肝心の、会津とのゆかりのおはなし。

戊辰戦争当時の藩主は、阿部正静(あべ まさきよ)。


▲阿部正静 画像引用:ウィキペディア

父であり、幕末の白河藩主・阿部正外(あべ まさとう)が、戊辰戦争が起こる2年前の年に、強制的に隠居させられました。
隠居させられてしまったのは、兵庫開港要求事件が原因。
幕府の外交官であった阿部正外は、イギリス・フランス・オランダ・アメリカの4ヶ国に開国を迫られ、朝廷の許可なしに調印してしまった罪に問われたのでした。


▲阿部正外 画像引用:ウィキペディア

それで、白河藩は藩主不在のまま、戊辰戦争をむかえたのです。

【会津ゆかりの地シリーズ⑨】白河市~戊辰の勝敗をわけた白河口の戦いの舞台!

翌年、阿部正静が家督をつぎ、国替えされて移ったのが、棚倉藩(たなぐらはん)でした。

ウィキペディアには、阿部正静は、消極的な立場で同盟に参加したとあります。

国替えにあい、藩主になったばかりで、天地が入れかわるほどの大きな局面がやってきてしまったのですから、阿部正静公や家臣たちの困惑は、そうとうのものだったでしょうね。
しかもこのとき、阿部正静はまだ18歳

もといた白河では、白河口の戦いがおこり、棚倉藩も応戦しました。
西軍に白河小峰城(こみねじょう)が占拠され、家老の阿部内膳(あべないぜん)が戦死。
その後も同盟軍(旧幕府軍)は、城をとりもどすために何度も攻撃をしかけつづけました。

そんな中、棚倉城へ西軍が迫ります。

 
(1868年6月)24日に白河から板垣退助率いる新政府軍が棚倉城攻略のため800の兵を率いて南東へ出発した。
棚倉藩は白河と平潟の中間に位置し両新政府軍が提携するために確保する必要があったからである。
新政府軍の動きを列藩同盟軍は予期していたが、むしろ白河城奪取の好機と見て白河へ兵力を集結させ、棚倉藩への増援は行われなかった。
棚倉城はその日のうちに落城して棚倉藩は降伏した。

 
引用:ウィキペディア

棚倉城で戦ったのは、阿部正静ではなく、隠居処分になっていた父、阿部正外。
板垣退助ひきいる西軍に、お城は1日で陥落しました。

白河口の戦いも、はげしい戦闘の末、西軍に敗戦。
同盟軍からは、700名以上の犠牲者がでたと言われています。

白河市内には、戦死者の慰霊碑が、同盟軍(東軍)・西軍を問わず、たくさんたてられています。


画像引用:白河市観光物産協会ホームページ

棚倉藩家老・阿部内膳のお墓もあります。(地図の14番)

阿部正静はこのあと、同盟に参加したせいで東京へ強制隠居させられ、10年後に28歳のわかさで亡くなったそうです。。。

棚倉町は、奥羽越列藩同盟に加盟し、白河口の戦いに参加した、棚倉藩があったまち。
白河口の戦いは、戊辰戦争の勝敗の分け目ともなったともいわれる重要な局面でした。
棚倉藩はここで家老を亡くすほど、まさにいのちをかけて会津とともに戦いました。

棚倉城で、板垣退助ひきいる西軍と戦った阿部正外は、白河口の戦いの舞台となった、白河藩のもと藩主。白河藩士不在の白河を、自分が守らなくてはならない、という想いがあったのではないでしょうか??

棚倉町と会津とのゆかりは、この戊辰戦争でのきずなの一言につきると思います!

棚倉町と言えば?

わたしが棚倉に行ったことがあるのは、
テニスをしに⇒ルネサンス棚倉(リゾートスポーツ施設)へ
ゴルフをしに⇒棚倉田舎倶楽部(たなぐらでんしゃくらぶ・ゴルフ場)へ
ということで、スポーツのまちのイメージがあります。

とくにルネサンス棚倉は、1995年には、プラネタリウムや、国内では例を見ない楕円形の大ホールを備えた、棚倉町文化センター(倉美館・くらびかん)が併設されるなど、スポーツや文化にちからを入れている、という感じでしょうか。

いやいや、それだけではないんです!
調べてみてびっくり!棚倉町の魅力を紹介します。

十万石棚倉城まつり

棚倉城跡・亀ケ城公園は、春(四月上旬~中旬)になるとソメイヨシノが咲きほこる、さくらの名所になっています。


画像引用:ウィキペディア

まいとしこの季節に、十万石棚倉城まつりがおこなわれています。(2018年は4月14日(土)・15日(日))

 
当日は、武者行列が町内を練り歩き、火縄銃の演武などが披露されます。

また、各種ステージイベントや地域物産の販売なども行われる予定です。
桜も見頃になっておりますので、多くの方のご来場をお待ちしております。

 
引用:棚倉町ホームページ

こちらが、火縄銃演武のようす。

 
とても迫力がありますね~!!

県指定天然記念物になっている大ケヤキの木も有名です。


▲棚倉城跡の大ケヤキ(福島県指定天然記念物)画像引用:ウィキペディア白河観光物産協会ホームページ

東北三十六不動霊場 三十五番札所・山本不動尊

棚倉町には、東北三十六不動霊場(ふどうれいじょう) 三十五番札所(ふだしょ)である、【山本不動尊(やまもとふどうそん)】徳善院(とくぜんいん)(真言宗智山派(しんごんしゅうちさんは))があります!!

と、書いてはみたものの、、、なんだかチンプンカンプン(;´・ω・)。

東北三十六不動尊霊場会ホームページによれば、

 
東北六県は、六波羅蜜(ろくはらみつ)修行の道場。
巡礼によって、幸せの道が開けます。

 

とのこと。さらに続きます。

 
六波羅蜜とは、迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸(ひがん)へと渡る六つの修行(布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく))・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ))をいいます。
東北六県は、まさに六波羅蜜の道場。
各県ごとにそれぞれ六つ、あわせて三十六の札所があり、
お不動様の分身である三十六童子(どうじ)にお会いするができます。

東北三十六不動尊巡拝の道は、満願成就(まんがんじょうじゅ)の幸せへと通じる道。
巡拝により六波羅蜜を体験することで、迷いを断ち目標に向かい、
前向きに進む生きる力と、お不動さまへの大きなご利益をいただくことができるのです。

 

六波羅蜜は、大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の教えです。

1.布施(ふせ)⇒お布施をする
2.持戒(じかい)⇒ルールを持って生きる
3.忍辱(にんにく)⇒耐え忍ぶ
4.精進(しょうじん)⇒努力する
5.禅定(ぜんじょう)⇒座禅する
6.智慧(ちえ)⇒1~5を通して得る知恵

という六つを行うことによって、

此岸(こちらがわ)=日常の、欲や煩悩にまみれた状態 から
彼岸(あちらがわ)=欲や煩悩から解放された状態 になる

というもの。

この1~6に東北六県が対応しているとのこと!!!

1.布施⇒山形県(惜しみなく与える)
2.持戒⇒秋田県(正しい生活習慣)
3.忍辱⇒青森県(苦難に耐え忍ぶ)
4.精進⇒岩手県(勇気をもって進む)
5.禅定⇒宮城県(動じない気持ち)
6.智慧⇒福島県(真実を洞察する)

うーん、なんか納得できるような、できないような。
東北三十六不動霊場は、こちらです。


画像引用:東北三十六不動尊霊場会ホームページ

まわる順番は1からでなくても良いようです。
ひとつひとつがパワースポットになっているようですので、ピンと来たところから行ってみるのも良いのかも!

棚倉町にある、山本不動尊の場所はこちら。

最寄り駅のJR近津(ちかつ)駅からバスで12分ほどのところです。

ここの魅力は、なんといっても紅葉!!


画像引用:福島観光情報サイト

京都の紅葉よりも美しい、という声も聞かれます^^

ちなみに、札所が会津若松市にもありました!
【長命不動尊】大龍寺(だいりゅうじ)!!

白虎隊(びゃっこたい)の悲劇で有名な飯盛山(いいもりやま)、松平容保(かたもり)公が白虎隊に出陣を命じた滝沢本陣(たきざわほんじん)のちかくです。

電車の場合は、会津若松駅からまちなか周遊バスが便利です。

そして大龍寺と言えば、松平容保公が創建したと言われているお寺。
NHK大河ドラマ『八重の桜』のヒロイン、山本八重が建立したという、山本家の墓がある場所です。戊辰戦争殉難殉節供養の碑もあります。
参考:八重の桜プロジェクトホームページ


画像引用:八重の桜プロジェクトホームページ

馬場都々古別神社・八槻都々古別神社

棚倉町には、ヤマトタケルノミコをルーツとした、すごい神社が二つもあります。

それが、馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)と、八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)。
早口ことばのような名前ですね。


▲馬場都々古別神社 画像引用:ウィキペディア


▲八槻都々古別神社 画像引用:ウィキペディア

棚倉町タウンガイドには

馬場都々古別神社(陸奥一ノ宮)
八槻都々古別神社(奥州一ノ宮)

とあります。

陸奥も、奥州も、東北地方を指す言葉だったと思うのですが、使い分けているのは何か理由があるのでしょうかね。


▲陸奥国・奥州(赤い部分)画像引用:ウィキペディア

 
一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。

 
引用:ウィキペディア

ということで、どちらも東北でもっとも格式が高い神社です。

まとめ

会津若松市のゆかりの地、棚倉町についてまとめました!

会津とのゆかりは、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟に参加し、白河口の戦いで会津とともに西軍と抗戦したこと。

さくらの名所、棚倉城跡・亀ケ城公園では、十万石棚倉城まつりが開催されています。
東北三十六不動霊場のひとつで、紅葉の名所である山本不動尊
奥州一の神社都々古別神社が二つもあります。

棚倉町は、かなりのパワースポットですね!!!東北一と言ってもよいかも!!!

県境の小さな町だと思っていましたが、調べてみたら、棚倉町、スゴイ!!

会津藩公行列には、2018年に初参戦する棚倉町のみなさんに、ぜひご注目ください♪

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